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ロズウェル (ジョージア州) : ミニ英和和英辞書
ロズウェル (ジョージア州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ロズウェル (ジョージア州) : ウィキペディア日本語版
ロズウェル (ジョージア州)[す, しゅう]

ロズウェル()は、アメリカ合衆国ジョージア州の北西部に位置するフルトン郡に位置する都市である。2010年国勢調査で、人口は88,346 人となっており、州内第7位である〔。2014年の推計では94,089 人に増加している〔。
== 歴史 ==

1830年、ロズウェル・キングが北ジョージアを旅していた間に、現在ロズウェル市となっている地域を通り、ビッカリー・クリーク沿いに綿糸工場を建てられる大きな可能性を感じ取った。その近くの土地はプランテーションを造るにも適していたので、綿花の生産地近くで綿糸の加工を行うというアイディアになった。
1830年代半ばにかけて、キングがここに戻って来て工場を建て、それが間もなく北ジョージアでは最大のロズウェル・ミルとなった。キングは海岸にあった自分のプランテーションから36人のアフリカ人奴隷を連れてきており、さらに工場を建てるためにサバンナで購入した42人の熟練した大工の奴隷も連れてきた。これら奴隷達が工場、インフラ、家屋、工場労働者のアパート、さらには新しい町のための補助的な建物を建設した。アフリカ人は、大西洋海岸部から北ジョージアにその特徴あるギーチーの文化、言語、宗教的な伝統も持ってきていた。
キングはこの新しい土地で自分の事業に加わるよう、海岸部から投資家を招いた。息子の一人であるバーリントン・キングも事業に加わり、製造会社で父の後継者となった。アーチボルド・スミスはここに移って来て新しいプランテーションを造った農園主の一人であり、海岸部からやはり奴隷を連れてきていた。
バーリントン・キングの家であるバーリントン・ホール、アーチボルド・スミスの家屋であるスミス・プランテーション、セオドア・ルーズベルト大統領の母ミッティ・ブロックの子供時代の家であるブロック・ホールが、現在も保存され、修復されている。これらは公開もされている。1850年のスレーブ・スケジュールズに拠れば、これらの「設立一家」3家族とそれに続く大きな農園主3家族で192人の奴隷を所有しており、ロズウェル地区で所有された378人の51%に相当していた。アーチボルド・スミスは広さ300エーカー (1.2 km2) の綿花プランテーションを所有していた。1850年の国勢調査に拠れば、バーリントン・キングは70人の奴隷を所有していた。これら奴隷の半分は10歳未満だった。これら奴隷はバーリントン・キングの敷地で働いていた。バーリントン・キングは成人となった男性奴隷の幾らかをロズウェル製造会社に「貸して」いたが、工場の機械周りでは働いていなかった。
ロズウェルの地域は、最初に入植された時はコブ郡の一部だった。郡庁所在地のマリエッタは西に馬で片道4時間の位置にあった。ロズウェルの住民が地元に自治政府を望み、ジョージア州議会に町の法人化に向けた市憲章を提出した。この憲章は1854年2月16日に承認された。
南北戦争の時までに、綿糸工場は400人以上の労働者を雇用しており、その大半が女性だった。彼らはピードモント台地に入植した者が多く、スコットランド・アイルランド系移民の子孫であることが多かったと考えられる。工場の生産が増加すると、地域に住む人口も増加した。

南北戦争のとき、市はケナー・ガラード将軍の指揮する北軍に占領された。ウィリアム・シャーマン少将の命令により、ガラードは工場が再建されれば、その労働者が働きに戻るのを防ぐために彼らを北に送った。これは南部の経済活動を妨害するためにシャーマンが採った通常の戦術だった。工場は燃やされたが、家屋はそのまま残された。工場の跡と、動力を得るために建設された高さ30フィート (9.1 m) のダムが現在も残っている。町の資産の大半が北軍に押収された。北軍が侵略してくる前に、町の指導的な一家が町を離れて安全な所に逃げ、この頃の習慣としてその奴隷達も前進してくる北軍兵に連れていかれないよう手配されていた。北軍の部隊に逃亡した奴隷もいた。

戦後、バーリントン・キングが工場を再建し、生産を再開した。解放奴隷の多くが地域に留まり、プランテーションや町で賃金労働者として働いた一方で、新しい機会を求めてフルトン郡やアトランタ市に移った者もいた。南部は戦争と労働環境の変化が起きた結果として農業の景気低迷を味わった。
国勢調査に拠れば、コブ郡の人口は戦前の1860年の14,242人から、戦後1870年の13,814人と僅かに減少した。その間にアフリカ系アメリカ人の構成比は27%から23%と大きく減少した。フルトン郡では、アフリカ系アメリカ人の劇的な移動によって、1860年に20.5%いた奴隷から、1870年には有色人種の構成比45.7%と増加していた。
1931年末、アメリカ合衆国は世界恐慌の真っ最中にあった。難しい経済状態によって、ロズウェルの北隣に当時あったミルトン郡が(現在のロズウェルの多くはミルトン郡に属していた)、ロズウェルの南に隣接していたフルトン郡と合併した。この合併のために、ロズウェルはコブ郡から分離してフルトン郡の一部となった。これは1932年5月9日付で有効となった。ロズウェルは、その日以前に統計記録、不動産記録、コブ郡事務官の不正行為の結果など法的な記録書類を整理した。この日以後はフルトン郡事務官と共に行った。
ロズウェルは現在州内でも大きな方の都市である。その人口は過去15年間でも着実に成長を続けている。
共和党員のジェア・ウッドが1997年以来ロズウェル市長を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロズウェル (ジョージア州)」の詳細全文を読む




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